公園とアウトドアチェア、なるもの

週明け(本来は日曜日が週明けなのだろうが)の月曜日。

午後……何時かはわからない。時計を見に行く気力がない。スマホも見当たらないし。

最近読んだ本の感想や遊んだゲームについて記そうかとも思ったが、しばしデスクトップの前に座していても、そのような気力はまるで湧いてこない。

となると、さしあたり、「気力が出ない今現在の自分の状態」について、つらつらとしたためることになりそう。それは正直、望むところではないのだが……というのは言い訳にすぎなくて。要するに、今日も「うだうだ」していたかった。そるだけのことだよ(誤字に非ず)。

 

ともあれ、ここ数年、月曜はたいてい「完全休日」ということにしているので、よし、やるぞ!と奮起しなければ、何もしないで済むのがたいへんありがたい。それでも、陽が暮れてかけてきたら、ちょっとだけ出てみるか……と目論んでいる。

しかし、僕が疲れただの、うだうだしていたいだの、出かけるだの、そういった記述がいったい誰の何の役に立つというのか?

言うまでもなく、誰の役にも立たないだろう。しかし、そういうことを言い出すと、「誰かの役に立つことを書けなさそうなので、今日は何も書きません。おしまい。」ということになってしまう。それはさらに僕の本意ではない。そういうわけで、もうしばらく疲労めいた与太話を続ける(すみません)。

 

「休日、一歩も外に出ない」という行為は、かつて僕の大得意技であったのだが、愛猫が他界し、集合住宅に引っ越してきてからは、1日のうち、少しでも外に出て、街の空気を吸わずに夜を迎えると、どうも心身がぎこちない感じになってしまうことが増えた。なんだろう、「一軒家と猫」といったかつての有り難い環境は、1日中引きこもるのに適していたのかもしれない。ああ、戻らぬ日々よ。しかし、僕は前を向いて(時々は後ろを振り返りながら)まっすぐ歩いていかなきゃいけない。

それで、このところ「ちょっと外に出たい時」にどうするかというと、

 

●適当な格好に着替える(さすがに寝巻きでは出られないので)

●コンビニで缶ビール(または紙コップコーヒー)を買い求める

●近くの公園に歩いて赴き、30分ばかりベンチに座している

 

そこはかなり広い公園だから、いつだって誰かがいて、何かしらしてる。ユニフォーム着た愛らしい少年たちが草野球してたり、犬連れた中年が体操してたり、うら若きカップルが遠くのベンチで愛を語らってたり、初老夫婦が、少年たちの試合やカップルを微笑ましそうに眺めながら、唐揚げ弁当(らしきもの)を食べてたり。

そういう光景をひたすら無心で眺めていると、ささくれだった心が、少しずつ収まるべきところに収まっていく、あるいは収まらなくとも、収まるべき場所に近接していくのを感じる。感じないことももちろんあるが。

「何も考えない(考えないようにする)」というのが、最近の自分にとって1番のリラックス方法なのかもしれないな、と思う。

それで最近は、こういうものの購入を考えていました。アウトドアショップで売ってる、簡単に持ち運べる、組み立て式チェア?みたいなやつ。

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Tactical Chair(Helinox)

こいつを公園まで担いで持っていき、心地よさそうな、秘密めいた、目立たなさそうな場所で組み立て、うららかな陽射しを浴びながら、少年たちがあげる夏草のように瑞々しい歓声を聴きながら、読書したり、昼寝したり、缶ビールを飲んだりする。

そんなことが、とてつもなく難しく感じてしまう。やってみれば意外と簡単なことなのかもしれない。が、そんなこと、とてもできっこないだろ?っていうような気持ちになってしまうのは何故なのか。

オッシュマンズの広告から抜け出てきた中年男みたいに見られかねないことが気恥ずかしいのか? あるいは奮起して買ったところで、せいぜいベランダか窓辺に置きっぱになって、時々思い出したように座ってみるものの、なんとなく落ち着かなくて15分くらいで立ち上がってしまう気がするからか? 

そんなことを書いてるうちにそんなアウトドアチェアのことはだんだんどうでも良くなってしまった。そんな月曜日の夕方でした。快い1日を。