ムーンワールド再訪記(1)僕とムーンワールドと現実世界

珍しく、夜更けにコーヒーを飲んだらすっかり眠れなくなってしまった。

すでに、床に着いてから7時間が経過している。『moon』になぞらえて言うなら、「アクションリミット」が4分の1以上強制的に増加させられたような状態。眠れない時に眠れないのは(ご存知のように)もう、とても辛い。もう、陽が暮れたらコーヒーは飲まんぞ……と、生涯50回めくらいの誓いを立てた。

そうして横たわったまま『moon』について考えていた。

昨日、僕は「主人公は、ムーンワールドに落下した時点では霊のような状態(視力を失いかけている者や動物しか認識できない)であり、祖母に孫の服を着せられた時、ムーンワールドにおいて『透明な少年』という実体を得たのだろう」と推察した。

しかし、思い出してみると、その認識は正鵠さを欠いていたようだ。

主人公は、ムーンワールドに落下した時点ではまだアクションリミット(左上の時計のようなアイコン)、すなわち世界との「共時間」を持っていなかった。

やがて祖母の家のベッドで眠り、夢の中に現れる女王に、

「ムーンワールドの時間の流れに身を委ねるのです……」

そう言われ、目覚めた時、少年の時間はムーンワールドに初めて「同期」したのだった。それは「生から死へと向かう、不可逆的な時間の流れに乗った」と言い換えることもできるだろう。世界とは、流れる時間とともに存在する。この時、少年はムーンワールドの住民となったのだった。

 

引き続き、横たわったまま考える。

では、この世界「ムーンワールド」とは「何処の世界」だろうか?

 

普段、ゲームにおいて、こんなややこしい考え方はしない。アレフガルドがアレフガルドであるように、ハイラルがハイラルであるように、魔界村が魔界であるように、ムーンワールドはムーンワールドである。それが何処であれ、とにかく「ゲームの世界」だ。もう少しこじゃれた言い方をするなら「現象界」に対する「象徴界」と言っても良い。

でも、もしムーンワールドが、この(今僕がなかなか眠れないでいる)現実世界のメタファーだとしたら?

これはたんにひとつの眠れなくなったゲーマー男の仮説である。正しかろうと、間違っていようと、後で考えを改めることになるにしても、この機会に、いったんこのような見方を携えて『moon』を再プレイすることにしようと思った。

余談だが、「主人公が実体を持たない透明な存在」であることは「虚構と現実(Real←→Fake)」という見方と同時に、「私と他者(I←→you)」という視点からも捉え直すことができるように思う。

この世界(ゲーム世界であれ現実であれ)における「自分≒僕」の「とくべつさ」。それは他者との比較によって得られる認識ではなく、きわめて構造的なものだ。そして主人公(≒自分≒プレイヤー)の特別さとは、『moon』において「自分だけ透明であること」によって強調・示唆されているのではあるまいか?

でも、本来的には主人公自身も他の住民達と抜本的に全く同じ存在、たとえば神によって最初から定められているような「決定された」存在であるなら……。

ちょっと先走りすぎてしまっているかもしれない。

ともあれ、ムーンワールドがこの「現実世界」のメタファーである仮定すると、主人公がムーンワールドに入る前、テレビの前で「母親にゲームなんてやめて早く寝なさい」と言われた世界は何処の世界(のメタファー)なのか? 

さしあたっては、そこは虚構でも現実でもない、「中間地点(LIMBO)」ということにしておきたい。

『moon』に内在する世界を「中間地点(LIMBO)」「虚構(Fake)」「現実(Real)」の3つに捉えておこうと思う。今はなんとなく、それがしっくり来る。

無論、こうした世界認識もプレイを続けているうちに、日々、ムーンワールドと現実世界の時間の流れとともに、変わっていくことだろう。そうした変化に融通無碍に対応できることが、「プレイしながら」記すことの利便性と言えるかもしれない。こと、『moon』のような内省を強いるゲームの場合はとくに。