めくるめくメルク丸

行為は無為よりも、ほんの少しだけ優れてゐる。(バガヴァッド・ギーター)

ムーンワールド再訪記(10)世界の終わりと『どうぶつの森』

こんばんは。昨日は1週間の疲れがどうにも溜まっておりまして、1日中ろくすっぽ何もできませんでした。月曜はそんな感じであることが多い。

しかし、そんな僕の個人的常態話はここではまったくどうでも良い。まったくそうです。はい。

ただ、昨日僕がそのような状態であったことは、今日の再訪記にぜんぜんまったく無関係、というわけでもなさそう。

というのも、昨日はそのように不如意な状態であったため、「住民たちのイベントを発生させる」だの「ラブレベルを上げる」だの「ソウルをキャッチする」だの「アイテムをゲットする」だの、そういった行為がちゃんちゃら面倒な気分でありました。

どうにかPS3の電源を入れて『moon』を始めても、いつものように先に進めることはできず、お気に入りのムーンMD(電子音寄り)をかけながら、足の(手の)赴くままに、ムーンワールドをうろつきまわっているばかりでした。ひたすら鳥男と賭けをしたり、現実世界でお酒を飲みながら山猫軒に行って食前酒飲んだりね。

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で、1時間以上そんな風に気ままに過ごしていましたら、自分で思っていた以上にムーンワールドという世界に「癒されている」自分を感じた、あるいは癒されていたことを思い出したというべきか。そうか、ここは俺の故郷だったな、と。

何しろ、これまでは久方ぶりに始めた『moon』で何か新しい視点を携えて考察し、20年越しの評文をしたためたる……そんな野心的でしゃちほこばった心情だったので、あまりリラックスした気分でこの再訪を楽しめずにいたのかもしれません。

でも昨日、ムーンワールドを歩き回っていて改めてしみじみ思った。ただ歩き回っていても、じっとしていても、これほど「しっくり」来る世界は何処にもない、とまでは言わないが、そうそうないって。

ここには現実世界と同じく、独自の時間が流れていて、ここで生活を営んでいる愛すべき個性的な住民たちがいて、僕は彼らに主体的に関わっても良いし、関わらなくても良いし、好きな音楽を流しっぱにして歩き回ることができるし、ひとところに留まって沈黙に浸っていることもできる。無理に物語を進める必要もないし、無理にこの世界から出なくたって良い。だけど、やっぱりもうすぐ出なきゃならない。

その時、僕の頭をよぎった作品が2つありました。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

ひとつは御存知長編小説「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。僕は村上春樹作品はけっこう読んでいますが、この作品はとくに好きで、昔からしょっちゅう読み返していました。

「僕」は自分の意識の中に作り出された(同時に自分が創り出した)静かな街の中に入りこみ、住民と交流を持ち、為すべき仕事を得る。しかし、じょじょに「そこは自分が居続けるべき場所ではない」と感じ始めた「僕」は、逡巡を重ねながらも日に日に弱っていく自らの影(その影を失ったら街から出ることはかなわなくなってしまう)とともに、森の奥にある出口へと向かう——

自分の内で、この長編小説中の「街」とムーンワールドはゆるく、しかし確実に結びついているように思います。ムーンワールドは僕にとって、この「世界の終わり」に位置する世界なのかもしれません。

自分の意識が作りだしたかの如く馴染み深く、居心地良く、完璧に自閉しているという点で「何か間違っている」という感が拭い難く同居している世界。もちろんゲーム内世界に限らず、そうした世界を誰もが自分の内に持っているように思いますが、僕にとってはたまたまこの『moon』なるメタRPGが、自己内世界親和力が最高に近しい世界だったというわけです。

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もう1つもきっと皆さんよく御存知『どうぶつの森』(以下『どう森』)。

どう森のことは『moon』再プレイ直後からちょくちょく頭をよぎっていました。

『moon』よりもずっと多くの人々に親しまれているこの超メジャー作品、自分はほぼ未プレイでした。初代『どう森』がリリースされたのは、『moon』発売から3年後、2001年のことです。その時に少しだけプレイしたのですが、強い閉塞感(なんとなくイヤな感じ)を覚えてすぐ止めてしまったことを憶えています。『moon』と違って、アイロニーも毒気のないキュートな箱庭世界を「もうひとつの世界」として自分の内に受け入れることに抵抗があったのかもしれません。

しかし、『moon』同様(ゲームを起動していない時もゲーム内における時間が流れているという意味では『moon』以上に)「その世界独自の時間」が流れていて、その中で住民たちと交流をし、アイテムを集めながらごく個人的な生活を営むことができる箱庭コミュニケーション世界——『どうぶつの森』は、今やそのジャンル(名称忘却)で、他の追随を許さない作品として君臨しています。

さて、現在『どう森』をプレイしている人々が感じているようなことを、僕は当時、そして今も変わらず『moon』に対して感じているのではないか?

そして『どう森』という怪物ゲームが生まれた背景には『moon』の存在もあるいは無関係ではないのではあるまいか? そんな認識を携えて『どう森』を改めてプレイしてみたらムーンワールドの新しい扉が見出されるかもしれない——。 

そう思った僕は、さっそく傘をさして近所のゲオまで『とびだせ どうぶつの森』(3DS)を買いに行ったのです。ポイントが溜まっていたので、ほとんど現金を使わずに購入することができました。ありがとう、Lueca。

それはさて置き、とび森を本格的に始めたら、この記事も「ムーンワールド再訪記」ではなくて、「どうぶつの森 生活日誌」になってしまうかもしれない。それはちょっと避けたい。なので、とび森はちょこちょこプレイするに留めておきたいと思います。